ボツドール「夢の城」の再演。いやー、演劇でこんなにカッコいい表現が可能なのかと、シビれた。このセンスと腕力は、ロックによく立ち現れるが、演技というこっぱずかしいDNAがある演劇では非常に難しい。コレを何で初演時に観なかったのかという大後悔に駆られた、時代と表現が切り結んだ最大級の傑作!!
ガングロ、センターガイ、オレオレヤンキーなど、最低な若者男女が共同生活する汚部屋での一昼夜の"様態"を現した無言劇なのだが、その設定自体はそこから読み取れるものがわりと簡単に想像できてしまう紋切り型。たとえば、日本お得意の閉塞社会も描けるだろうし、そこから、オウム真理教にも繋がる共同体の芽を見る、とかね。
しかし、この舞台はその"批評に対して安定的な設定"を超えて、観手に身体的とも言える想像力を喚起してくる。起きて寝て、排泄して、食べて、後はセックスセックス、そして、ちょっと働き、四六時中続くテレビゲームにマンガ。という行為が幾度となくリフレインされるのだが、それが演劇的な誇張ではなく、ひょっとすると、こたつにへばりつくだらだらした正月のような、我々の身体感覚の延長線上にその、怠惰で面倒くさがりやで、生きている喜びなど全くない荒廃した生活があることが、身につまされていくのだ。批評の多くはこれを世代論として安直に片付けるけれど、およそ、日本人全世代の内なる地獄ですよ。面白いのが、あの汚部屋動物生活がユートビアにも見えてきてしまうところ。まあ、3.11の日本がそういうことなのかもな、と。
こいつらの生活から、乱交セックスを抜いたら、このおぞましさは、日本の一般家庭じゃないのか、という山本直樹のマンガにもある視線の"一般化"が、非常にスムーズに行われているところは、素晴らしいの一言。演出家の三浦大輔さんはは非常に力量がありますね。ベルリン公演が大喝采だったというのもよくわかる。ドキュメンタリーの手法云々と評されているらしいが、私はウディ・アレンと似たものを感じた。どうしたら、観客は自然とこのツボに入ってくるか、ということを、非常に試行錯誤した上での技術と演出。
ラスト近くに女が意外にも布団の中でひとりむせび泣く、という問題シーンが出てくる。人間らしい感情が、唯一、表現された場面だが、彼女の役柄が唯一食事を作ったり、財布に大金を持っていたりする、唯一社会性のある太い存在だっただけに、「やっぱり女、世情に絡め取られるな」と思った瞬間、それを聞いて起きてしまった男ふたりが、スケートの滑りマネをするオチが圧巻。重くて深刻なことが大嫌いで遊戯性に逃げる男。これだけで、一大テーマのような男女の本質論がラストの方に挿話的に立ち上がり、それまでの本篇と同様の強度がある、という構成も、ラスト近くに謎の不協和音を残すマルティノンの交響曲(さっきたまたま、聴いていた)のごとくに超カッコよかった!!
ガングロ、センターガイ、オレオレヤンキーなど、最低な若者男女が共同生活する汚部屋での一昼夜の"様態"を現した無言劇なのだが、その設定自体はそこから読み取れるものがわりと簡単に想像できてしまう紋切り型。たとえば、日本お得意の閉塞社会も描けるだろうし、そこから、オウム真理教にも繋がる共同体の芽を見る、とかね。
しかし、この舞台はその"批評に対して安定的な設定"を超えて、観手に身体的とも言える想像力を喚起してくる。起きて寝て、排泄して、食べて、後はセックスセックス、そして、ちょっと働き、四六時中続くテレビゲームにマンガ。という行為が幾度となくリフレインされるのだが、それが演劇的な誇張ではなく、ひょっとすると、こたつにへばりつくだらだらした正月のような、我々の身体感覚の延長線上にその、怠惰で面倒くさがりやで、生きている喜びなど全くない荒廃した生活があることが、身につまされていくのだ。批評の多くはこれを世代論として安直に片付けるけれど、およそ、日本人全世代の内なる地獄ですよ。面白いのが、あの汚部屋動物生活がユートビアにも見えてきてしまうところ。まあ、3.11の日本がそういうことなのかもな、と。
こいつらの生活から、乱交セックスを抜いたら、このおぞましさは、日本の一般家庭じゃないのか、という山本直樹のマンガにもある視線の"一般化"が、非常にスムーズに行われているところは、素晴らしいの一言。演出家の三浦大輔さんはは非常に力量がありますね。ベルリン公演が大喝采だったというのもよくわかる。ドキュメンタリーの手法云々と評されているらしいが、私はウディ・アレンと似たものを感じた。どうしたら、観客は自然とこのツボに入ってくるか、ということを、非常に試行錯誤した上での技術と演出。
ラスト近くに女が意外にも布団の中でひとりむせび泣く、という問題シーンが出てくる。人間らしい感情が、唯一、表現された場面だが、彼女の役柄が唯一食事を作ったり、財布に大金を持っていたりする、唯一社会性のある太い存在だっただけに、「やっぱり女、世情に絡め取られるな」と思った瞬間、それを聞いて起きてしまった男ふたりが、スケートの滑りマネをするオチが圧巻。重くて深刻なことが大嫌いで遊戯性に逃げる男。これだけで、一大テーマのような男女の本質論がラストの方に挿話的に立ち上がり、それまでの本篇と同様の強度がある、という構成も、ラスト近くに謎の不協和音を残すマルティノンの交響曲(さっきたまたま、聴いていた)のごとくに超カッコよかった!!
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