ルビャンツェフ。「古きを否定して、新しきを探る」という進歩史観解釈及から、その表現が出たのではなく、ラフマ三番という豊かな森から、彼だけは他の演奏家とは全く違う花を摘み取っている、という感じ。これは批評眼というものではなく、この人の"ものの聴き方"が、元から"人間離れ"しているからなのだろう。ビル・ヴィオラを思い出したのは、彼のその視点、というか聴き点が、美術家の世界構築に似ているからだ。しかし、これは音楽。あの曲が持つの「みんな、一緒に感動の船に乗ろうぜ」という安定感に距離をおけるもんだ、と恐れ入る。オケとビアノが乖離しているのではなく、やはり、いろんな生物がそれぞれの事情で生きている森のごとくの調和はバッチリ。一方、我らがランラン(笑)のそれを聴いてみると、冒頭は弱音から始めたもののすぐに、ペダルで"お色気"を出してしまい、最初から犯人がわかる火曜サスペンス状態。 もちろん、両方アリだろうが、今、クラシックを"わざわざ"聞くとすれば、ルビャンツェフの方向だろう。11月の紀尾井ホールも行くぜ!! ご参考までに↓
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