野宮真貴さん、コシミハルさん、そして私。バックステージにて。
コシミハルさんの三年ぶりのミュージックホール、"Le judas"に行ってきました。
三年前と現在の間に、代官山UNITにて、コシさんに頼み込んでこのミュージックホールのディフュージョン版を企画しましたが、その時におっしゃっていたイメージがついに形になったのです。
http://dwww-miharu.sblo.jp/
バート・バカラックと同様、頭の中にコシミハルの部屋があって、いつ何時でもその音楽を引き出すことが出来る自他共に認めるファンの私ですが、それにしても今回のステージはホントに凄かった。
ピアノとファゴット、そしてバレリーナ三人を従え、彼女がある時はアコーディオン、ピアノを奏で、ある時は踊るというスタイルは全く前回と同じ。クロソウフスキー、19世紀末から20世紀初頭のパリ、シュバルツバルト(黒い森)、鞭とリボン、コケットリーに聖性といった世界観も全く同じ。思えば、コシミハルという人はこれを数十年間一貫してやり続けていて、もはやそれは歌舞伎の型のごとし。でも、そのガチガチの記号の中で、躍動する音楽や肉体の自由度とフリーキーさは今回マックス級。
コシミハルの世界はもうもう、私にとって極上の嗜好品とも言えるものなので、とにかく、そこにそれが舞台として在ってくれるだけで幸せ、というものなのですが、今回はそれを飛び越えて、彼女自身が放つ表現と存在のエネルギーに釘付けになったという感じ。ラッセル・マリファントが振り付けた「TWO」でのシルヴィ・ギエムは、二メートル四方のスペースでとてつもない高速身体運動を披露しますが、その時に感じた印象と取っても似ているのです。
三年前の前回は野宮真貴リサイタルのプロデュースを始める前でした。あれから舞台制作を経験したわけですが、今回、コシミハルが行ったのは、プロデュース、アルバム作り、演出、振り付け、そして、パフォーマンスというほとんどすべて。これは本当に凄いことで、ロビーでお話しした細野晴臣さんもおっしゃっていたけれど、まさに「成熟したパワーのある大人の仕事」だと思います。中年は(怒らないでね、ミハルさん)こういうことが出来てしまうから、今、若者はその前に手も足も出なくなっているのかもしれませんわね。
そういえば、ピアノをやっていた人ならお馴染みの、「メトードローズ」という初心者の教則本があります。バイエルがドイツ系ならばこちらはフランス系で、私は断然、こっちの方がお気に入りだったんですね。「貴婦人の乗馬」だったり、「月の光」だったりの表題の横に、なんとも不思議なペン画が書いてあったのですが、小さいときの自分はそれが大好きで、練習よりもそっちを見入って妄想したりしていました。コシミハルさんもメトードローズ派であることはほぼ間違いが無い。赤木仁のイラストとの関係を鑑みるに、彼女こそがその”遊び”をピアノからは放逐された私に成り代わり続けてくれているような気がするのです。
全篇フランス語の歌詞によるアルバムは、緻密で迷宮的なテクノ・オーケストレーションが展開。お気に入りは二曲目の「黒イチゴ」で、猫の声のような、少女の胸声のような音色が耳について離れないんですよね。ジングルのような「ロワイヤル・エプロン」の音階ループは、リロイ・アンダーソンの素晴らしいテクノ解釈ともいえます。
うーん、本当にこういう音楽をつくっている人は、世界で彼女以外にいない!
日本の最大輸出品目なのではないでしょうか。
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